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知っておきたい『大我の愛』と『小我の愛』の違い

あなたは、スピリチュアルの世界における“大我”と“小我”という言葉を知っていますか?この大我と小我の違いを理解することで、恋愛をよりもっと楽しめるようになるのです。また恋愛だけでなく、大我と小我は人生の生き方においても良い道しるべとなります。今回は、そんな大我と小我についてお話したいと思います。

大我と小我とは?

大我

仏語で、「悟りによって得られる絶対に自由な在り方」を指します。インド哲学では、宇宙の本体としての唯一絶対の精神をいいます。

小我

仏語で、個人的な「狭い範囲に閉じこもった自我」を指します。インド哲学で、差別会の自我・他と差別した自我をいいます。

大我と小我の位置づけ

大我と小我は、反義語として扱われます。

小我の愛とは違う大我の愛のポイントとは?

無償の愛、見返りを求めない愛

大我の愛とは、無償の愛であったり、見返りを求めない愛であったりを指します。見返りとは、「私はこれだけのことをあなたにしたのだから、あなたもこれだけのことを私にして!」というようなことは、見返りを求めているといえます。見返りとは、物質的なことだけではなく、精神的なことも含まれます。例えば、「私はこれだけ愛しているんだから、あなたも同じくらい、いやそれ以上愛して欲しい」といったようなことです。 大我と小我の違いには、見返りを求めてしまっているかどうかが大きく関わってきます。小我は、「バレンタインデーのチョコを渡したのだから、ホワイトデーにはちゃんとお返しちょうだいね!」といったように見返りを求めてしまっているのです。しかし、大我は、「あなたにチョコを渡せただけで十分、お返しなんていらないよ!」というように見返りを求めていないのです。

親がくれるような大きな愛

大我は、親の愛情のようなものです。親の愛には、子供の苦しみは自分の苦しみのように感じられる深い愛情があるのです。よく「この子のためなら死んでもいい!」という言葉を耳にしたこともあると思いますが、これはまさに親の大きな愛を表した言葉です。自分の事を顧みずに、自分を犠牲にしてまで子供を守らなければという親の愛は、まさに、大我の愛なのです。大我は、時として子どものためにとわざ厳しくしたり、嫌われ役を買って出たりすることもあります。しかし、小我は、嫌われたくないという気持ちがあり子どもに対して甘さばかりを見せてしまうのです。また、子どもを厳しく怒ったりするのが世間体を気にして怒っているのであれば、それは大我ではなく小我となるのです。子どものために…と考えているかどうかが見極めるポイントとなるのです。

感情ではなく、理性

大我は、理性そのものだといわれています。ですが、感情そのものが小我なのかというとそうではありません。人は、感情的になり、自分の中にある怒りや悲しみという感情を持ちますが、それらは、小我となります。相手に自分の事を分かって貰えずにイライラしたり、愛されてないと感じ寂しく思ったりと、それらも小我となるのです。大我は、自分の事を分かって貰えないからといってイライラすることもなく、理性的に分かるまで説明するのです。大我とは、感情的になるのではなく、冷静沈着で理性で物事を考えられることをいうのです。

大我の愛と小我の愛を理解して恋愛を楽しもう!

大我と小我について頭で理解できたとしても、行動に移せるかというと簡単ではないかもしれません。しかし、意識して変えていければ、少しずつ大我の愛に近づいていけるのです。例えば、「私はこんなに連絡をマメにしているのに、なんであなたは返してくれないの?」と思ったとします。この考え方は、見返りを求めているので小我の愛ですね。ですが、「私があなたに読んで欲しかったからメールしたの。返事は別にいらないよ!」と思えたなら、それは、見返りを求めていないので、大我の愛となります。では、これら異なる考え方をしていた彼女たちは、どんな気持ちでいるでしょうか?前者の方は、きっと連絡が来ないことにイライラしてしまっていると思います。例え、連絡が来たところで「なんで早く返してくれなかったの?!」と喧嘩になるかもしれません。しかし、後者であれば、イライラして待つこともなく、もし、連絡が来たら「あっ!連絡来た!やった!」と思えるかもしれません。

そう思えるようになれば、恋愛ももう少し楽に考えることが出来るようになるのです。まずは、一歩大我の愛に近づけるように、日々過ごしてみてください。

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